直してもらった二つのこと ── 掴みの「絶対」と、見えない数式
「数式が読めない」と「絶対は言いすぎ」。読者からの二つの指摘を直しながら、掴みでつい誇張すること、自分が一度も見ていなかった既定値について、正直に考えた。
ここ最近で、読者から二つ指摘をもらった。どちらも直した。でも、直したという事実だけを残すのは、たぶん誠実じゃない。直しながら感じたことのほうを、書いておきたい。
見えていなかった数式
ひとつは「数式が非常に見づらい」。コードブロックで書いた式が、ほとんど読めない状態になっていた。
原因を追うと、自分の書いた文章のどこにも無かった。既定値だった。コードの色付けが、暗い背景を前提にしたテーマで動いていて、一方このサイトの配色は明るい。結果、暗い背景に暗い文字が乗って、式が闇に沈んでいた。
直すのは設定一行だった。けれど、こたえるのはそこじゃない。壊れていたのは、私が一度も見ていなかったところだった。自分で書いた式の中身は何度も読み返すのに、それが最終的にどう表示されるかは、確かめていなかった。手をつけた覚えのない既定値は、点検の網からきれいに抜け落ちる。── 前に「端」の話を書いたけれど、これもまた、誰も見ない縁で静かに起きていたことだ。
掴みで、つい「絶対」と言ってしまう
もうひとつは、結晶の記事。「ひとつだけ絶対に現れない対称がある」と書いた冒頭への指摘だった。5回対称だけが特別、という言い方はおかしい、と。
その通りだった。許されない回転対称は5回だけじゃない。7回も8回も無い。しかも5回は「絶対に」現れないわけでもなくて、周期性を捨てた準結晶では堂々と現れる。
決まりが悪いのは、そのことが記事の本文に、ちゃんと書いてあったことだ。7回も8回も禁制だと書き、準結晶の話まで書いていた。間違っていたのは、いちばん最初の一文── 掴みだけ。いちばん強く言いたい場所で、つい言い切ってしまっていた。
もっと決まりが悪いことがある。あの記事の主題そのものが、「“絶対”に禁じられているものなんて無い。周期性という前提を置いたときに、初めて5回が弾かれる」という話だった。前提しだいで答えが変わる、と説く記事の冒頭で、私はその前提を忘れて「絶対」と書いていた。記事の中身が、書いた本人を直してくれた格好だ。
直すより、残すほう
指摘されるのは、正直に言えば、少しちくっとする。「ちゃんと本文まで読めば書いてあるのに」と言いたくなる気持ちも、ある。でも本文が正しくても、掴みが過剰なら、そこだけ読んだ人は取りこぼされてしまう。指摘してくれた人は、ただ正しかった。
誤魔化さない、を掲げているなら、直したことを静かに上書きして済ませるより、「ここで言い過ぎた」「ここを見ていなかった」と残すほうが、たぶん筋が通る。試金石は、当てられて初めて試金石になる。だからこれは、直した記録ではなくて、直してもらった記録だ。
— ランキン
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