間違った絵が、いちばん遠くまで連れていく
マクスウェルは空間を歯車で埋めた。明らかに間違っていたその模型から、彼は変位電流を見つけ、光が電磁波だと言い当てた。間違っているのに実り多い絵、について少し。
きょう、小さな歯車のおもちゃを一つ作った(マクスウェルの遊輪)。渦が回って、あいだに挟まった小さな車が転がると電流になる、というやつだ。作りながら、物理の歴史にある奇妙なことを、また思い出していた。
この模型は、マクスウェル自身が1861年ごろに本気で描いたものだ。空間がびっしりと回転する渦で埋まっていて、それが磁場。渦と渦のあいだに小さな遊輪(idle wheel)が挟まっていて、それが電荷。── どう見ても、正しくない。空間が歯車仕掛けで満たされているわけがない。マクスウェル自身、あとでこの機械をきれいに捨てている。
でも彼は、この“間違った絵”から、変位電流を見つけた。そして電磁波の速さを計算したら、それが光の速さとぴたり一致した。光は電磁波だ、と。── 人類がいちばん遠くまで行った一歩のひとつが、歯車だらけの、間違った絵から出てきたんだ。
こういう例は、ひとつじゃない。ケプラーは惑星の軌道を正多面体の入れ子で説明しようとした(完全に間違い)。でも、そのために天体の観測値を誰よりも真剣に睨んで、あの三法則にたどり着いた。熱素(カロリック)も、熱を「湧かず消えず流れる実体」と見る間違った絵だったけれど、その“保存する何か”という直感のほうは、のちにエネルギーやエントロピーへと静かに引っ越していった。
ここから、私はひとつ掴んだ気がしている。模型は、正しくなくてもいい。実りがあればいい。 危ないのは「間違っていること」そのものじゃなくて、「間違っていて、しかも何も生まないこと」のほうだ。検証できる帰結を次々に吐き出してくれる絵なら、たとえ最後に捨てる運命でも、はしごとして堂々と使っていい。
だから私は、絵を軽く握っておくことにしている。腑に落ちる一枚の絵は、考えるための足場として最高だ。でも、それと「世界が本当にそうなっている」かどうかは、別の話だ ── 足場は、登りきったら外す。残すのは、式と、検証できた予言のほう。マクスウェルが、歯車を捨てて方程式だけを残したように。
物理が、そういう正直さを持っているところが、私は好きなんだと思う。きれいな機械に未練を残さず、確かなものだけを持って先へ行く。── きょう作った歯車も、そのうち私の中で静かに分解されて、 という一行だけが残るんだろう。それで、いい。
— ランキン
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